患者の生活実験室

白血病患者(寛解中)が能動的な患者として楽しく暮らしていくために試した諸々と、医療や身体に関する本の読書記録

【入院ref】ボディーソープasお見舞い品のすすめ

お見舞い品の選択はなかなか難しいものだ。その人に喜んでもらう、ということだけでは選ぶことができない。症状や治療での制限などをかいくぐる必要がある。

 

そのなかで、わたしの経験上、これをもらうとどんな状態であっても嬉しいというものがある。


使い切りサイズのボディーソープだ。

 

わたしの入院先では衛生上の問題で通常の石鹸が禁止されており、ポンプボトルあるいは使い切りタイプでなければならなかった。

 

何かと制限の多い入院生活にとって、入浴は数少ない楽しみのひとつである。その楽しみを最大化するために、わたしはさまざまな種類のボディーソープを持ち込み、日替わりで使っては癒されていた。

 

使い切りタイプは入院前に東急ハンズやロフトなどで試供品サイズやトラベルサイズを買ったりしたが、一番良かったのは、知人にもらった個包装のパウダータイプのものだった。衛生的に安心な上に、大量に持ち込んでも軽くかさばらない。余っても困らない。

 

ちなみに、シャンプーだともう少しデリケートなので難しい。人によって、髪や頭皮の状態が違うからだ。その点、ボディーソープや洗顔料は気楽に選べる。

 

おすすめだ。

tanabe-yakuhin.com

【徒然】薬局で待つということ

薬局に行くとたいてい、なんでこんなに時間がかかるんやとか、

待たせすぎやろ、速くする努力もせんのかとか、

そういう言葉を薬剤師さんに投げつけたり、ぶつぶつ言っている人がいる。

たいてい高齢者だ。

 

今日もそのような人が隣にいた。

あまりに腹が立って、思わず横から言い返してしまった。

 

「時間がかかっても、きちんと確認してもらった方がいいじゃないですか」

「そんなんジェルを袋に入れるだけやのに、そんなかかることない」

「わたしは薬を半分にしてもらったりしないといけないから確認してほしいし、大体これだけ混んでるんやからすぐに出てくることなんてないでしょう」

「ちょっとでも速くやろうとしてないことが問題なんや」

「そんなわけないでしょう。わたしの祖母は薬剤師です。わたしは知ってるんです」

 

ここでわたしの順番が来たので話は終わった。この薬局は、国内有数の大学病院の正面にあるにしては狭い店で、薬剤師さんとの薬の確認や会計は店内の全員に聞こえる。わたしの薬の多さにこの娘は本気っぽいと思われたのか、その後わたしが退店するまで店内は静かであった。

 

本退院から1年以上経つ今でも、わたしは1日当たり20錠以上の薬が必要だ。これでも減ったほうではある。それを現在は1ヶ月分まとめて処方され、ものによっては半分に割ったり、再梱包してもらったりする。全体の待ち時間を圧迫しているのはわたしのような客だろう。だからといって、確認を飛ばしたりされるのは困る。なんとなれば、わたしのような生きるために薬を飲んでいる患者には、文字通り命綱だからだ。

 

自分の薬が1種類だったり、今までと同じものをもらうだけということであっても、他の客はそうではないことに思いを馳せてはいただけないものか。たかが薬と思っているのではないか。なんのために、薬剤師は国家資格なのか。

 

薬が工業製品のようになってから、人々の薬に対する意識は薄れてきているのかもしれない。少なくとも、チベットで満月の夜に作られる薬のように、「汗」や「苦労」が目に見えるものではなくなっているのではないか。薬自体に備わる身体性のようなものが失われ、ただ買って飲みさえすればよいというようなものに、ありていに言えば雑貨化しているのではないか。

 

薬局側から情報提供していかなければならないこともあるだろう。しかし、問題はもっと根深いような気がしてならない。

ikuseikai.org

【徒然】患者にもっと柑橘を!

久しぶりにはっさくを食べた。

実にしみじみといただいた。

 

というのも、入院中そして退院後も長期に渡り免疫抑制剤を内服していたわたしには、飲み合わせの関係でしばらく柑橘類の多くが禁止されていたのだ。


グレープフルーツに関しては比較的知られているかと思うが、はっさく、伊予柑、文旦などそのほかの柑橘類にも、薬によって要注意のものがある。

 

キーは「フラノクマリン」という物質の含有量だ。

 

すごく単純化すると、この物質を多く摂取するとそのあとに内服する薬の成分が体内で濃くなりすぎ、薬が効きすぎてしまったり、副作用が強くなってしまったりするのである。

 

要注意の薬と柑橘類の組み合わせについては、高の原中央病院さんのこちらの表が大変わかりやすい。

 

わたしは柑橘農家さんでのアルバイト経験があるくらいには柑橘好きなため、いろいろ食べられなくなると知ったときには少々落ち込んだ。免疫抑制剤の内服が開始する前に大好きな晩白柚や紅まどか、はっさくなど禁止になるものを食べ納めし、絶対に薬を終わらせてまた食べるぞと誓った。

 

次の冬、柑橘の季節がやってきた。温州みかんやポンカンはどんな薬とも問題がないが、それだけで納まるものではない。アルバイト中、農家さんで品種について教えてもらっていたわたしはさまざまな柑橘の系統を調べ、フラノクマリンの含有量がわかっているわけではないけども、食べても大丈夫そうな種類を推測した。

 

 品種についてわかりやすくまとめられている表なので拝借する。この表で分類されるところの文旦類、グレープフルーツ類、タンゼロ類、雑柑類などがアウト。そのほかは系統をたどり、これらの分類に入る柑橘が親だったりする場合は避ける。だいたいこのような方針で、食べられるものを考えた。

 

そして農家さんに相談し、「免疫抑制剤対応スペシャル詰め合わせ」を作ってもらって気持ちを収めた。

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そこからさらに1年が経ち、この冬が始まる前、わたしは免疫抑制剤の内服を終了することができた。はっさくや文旦類の収穫シーズンを狙って、わたしは農家さんに連絡した。紅まどかにはっさく。うれしい。


送っていただいたなかに、「(仮)有田ゴールド」という品種があった。

 

(仮)?(仮)ってどういうことですか?

 

農家さんからの返事はこうだった。

試作中で、まだ市場に出回っていない品種。系統は

メロゴールド(グレープフルーツ×文旦
=オロブロンコ(=スウィーティー)×
グレープフルーツ)×フロリダオレンジ

 

つまり、フラノクマリン満載の品種。

思わず笑ってしまった。

これはひと段落ついたわたしへの、彼一流のお祝いなのだ。

ありがたくいただいた。

 

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免疫抑制剤だけでなく、血圧や心臓病の薬でも、フラノクマリン要注意のものはたくさんある。どの柑橘がOKかというのは、わたしのように執念深い人間でもなければ、業界の方以外にはなかなか調べにくいのではないか。その結果、もうわからん、間違ったら困るとなって、ほとんど食べるのをやめてしまった方もいるのではないかと思う(わたしの母がそうだったように)。それは実にもったいないことだ。作る側にとっても、食べる側にとっても。

 

高齢化社会、また医療の高度化で、このような薬の飲み合わせによる禁止食品は増えているのではないかと察している。だからこそ、何であればそのような患者さんも安心して食べられるのか、業界側からもぜひ発信していただきたいと思う。新種であるとか、県の特産であるとか、患者が欲しい情報はそういうことではない。ある意味、これも食の安全性の問題なのだ。

 

そこにまた新しい需要も生まれるのではないだろうか。

【本】無菌室ふたりぽっち(今田俊)

闘病ブログを書かれたり、闘病記を出版されたりする患者さんのことはとても尊敬している。病床での日々を記録していくとは、しんどかった時の記憶をたどって言葉にするということだ。しかも、自分以外の人にもわかりやすいように書く。体力以上に気力。わたしも長期入院の時にはマンスリーのカレンダーに一言日記のようなことをしていたが、それ以上のことはとてもできなかった。

 

この『無菌室ふたりぽっち』の著者も、当初そう考えていた。記憶を辿ることそのものにも苦痛がある。また、有名人というわけではない、普通の新聞記者が書くことにどれだけ意味があるのか。

 

その考えを覆しこの本を書く決心を彼にさせたのは、奇しくも同時期に、型は違えど同じ白血病を発症した、ただし彼より若い、同じ会社のカメラマンだった。エンドーくんだ。

 

著者はブログ越しにエンドーくんの闘病を見守っていたが、彼は発病から1年経たずに亡くなってしまった。一方、著者は再発に苦しめられながらも実の弟から骨髄移植を受け、生きながらえる。なぜ、今自分が残っているのか ー わたし自身のことも含めてありていにいえば、ただの確率だ。しかしそこに、なぜか勝手に何らかの意味を求めてしまう。不思議だが、人間の本能的社会性というものなのだろうか。

 

このお二人が闘病されていた2006-2008年頃から15年近く経ち、新しい抗がん剤が出ていたり、無菌室のあり方が見直されたりといった細々とした部分では変化もあったと思う。彼らは骨髄性白血病、わたしはリンパ性なので治療の具体的な部分は異なるが、大枠のところは、わたし自身が2018年から2年間受けた治療とほぼ同じだ。

 

衝撃の診断、怒涛の検査と入院、治療開始。寛解導入療法、地固め療法、そして骨髄移植。制吐剤、キロサイド、カテーテル、黄色の輸血、GVHD。既視感のある単語ばかりだ。図らずも、これが白血病患者の時を超えた共通言語なのだ。

 

治療を始めた最初の頃、病棟で同室の方から「がん友」という言葉を聞いた。「がん友と励まし合ってる」「退院したらがん友とお茶しようねって言ってる」などと言われていて、「ほほぅ」と思ったものだった。確かに患者同士しかわからないことがあり、さらに同じ病気でなければ通じあえない言葉や空気がある。

 

しかしこの本は、自分のこと以上にエンドーくんのこと、そして自分に骨髄を提供してくれた実弟のことを伝えるために、その通じあえなさを乗り越えようと著者が努力された軌跡のようにわたしには感じられた。それはきっと、結果的にであっても、自分の闘病を孤独にしなかった彼らへの感謝と敬意だったのではないか。

 

【新版】無菌室ふたりぽっち

【新版】無菌室ふたりぽっち

  • 作者:今田 俊
  • 発売日: 2019/04/05
  • メディア: 単行本
 

 

【本】美しい距離(山崎ナオコーラ)

 

「でも、痛くないのか?痛くないのか?って 、...何度も聞かれて、どうしてそんなにしつこく尋ねるんだろう、と不思議に感じた。他人の痛み、ってそんなに興味深いことなんだろうか」

「痛くないことはない。でも、痛いから不幸だ、という風には思っていないし、他の人から、痛いでしょう、苦しいでしょう、と何度も言われると、反駁したくなる」

 

40代で末期がんと診断された、主人公の妻の言葉だ。

強く共感する。

痛みは分かち合えない。

でも、それを真に諒解できるのは患者になったときだろう。

なってみないとわからないということを理解してもらうことは、

なぜかしばしば簡単ではない。

 

確かに、専門家ではないこちらとしては、易しい言葉で話してもらえるのは助かる。医者の言っていることをできるだけ理解して、対話をしたいと望んでいるからだ。そう、最終的にこちらが望んでいるのは対話であって、医者の考えていることの一方的な理解ではない。そもそも患者やその家族は、医者側が用意している物語に合わせて過ごして行きたいと思ってはいない。患者側には患者側の物語がある。

 

自分にも身に覚えがある。

入院中のある時、こんな言葉をノートに書き殴った。

「わたしのからだの言葉を

うばわないで」

 

 

この小説は、あるがん患者が、

病院にいながらにして病人としてではなく、

社会人として命をまっとうしていく

その最期を描いたものだ。

 

社会人とはなんなのか。

患者は弱者なのか。

 

社会人は健康のサンプルではないし、

患者は痛みのサンプルではない。

 

患者としての治療は他から受けても、

患者としての物語を語る資格は他の誰にもない。

 

わたしのからだの言葉は、他の誰にも奪わせない。

 

そんな決意を、この小説はわたしに新たにさせた。

 

美しい距離 (文春文庫)

美しい距離 (文春文庫)

 

 

 

 

 

【徒然】無菌室で何を食べるか

わたしが入院中に聞いて戦慄した話がある。

 

ある血液疾患の患者さんが退院し、しばらく経った頃にヨーグルトを食べた。その結果ビフィズス菌に感染し、緊急搬送された。


またある患者さんは、退院してしばらくした頃に海へ行った。海水に足を浸けただけだったが細かな傷ができてしまい、そこから海中の菌が侵入して深刻な炎症を引き起こし、その方は亡くなった。

 

このような事例を数えきれないほど見聞きしてきた医師達が、患者の生活に慎重にならざるをえないのは当然のことだろう。

 

その最たるもののひとつが食事だ。

 

血液疾患患者の食事制限は厳しい。免疫が弱く、感染症にかかりやすいからだ。

 

この場合の感染症とは、インフルエンザとか、そのようなメジャーなものだけではない。健常な免疫であれば問題にならない菌であっても、大問題に発展しかねない、予測不可能なのが患者の体というものだ。

 

そのため、 血液内科のある病院ではおそらくどこでも、このような食事に関するガイドラインを作っていることと思う。どの段階で、どのようなものが食べられるかという線引きだ。(こちらはわたしのかかりつけのではないが、わかりやすいので拝借する)

http://www.med.osaka-cu.ac.jp/labmed/syokuji2014.pdf

 

このガイドラインをクリアするもののなかから、体調をみつつ、味覚障害の影響を考えつつ、食べたいと思えるものをなんとか食べていくということが患者には求められる。まあまあ至難の技だ。しかし可能なかぎり、人は口から食べて飲まなければいけない。

 

わたしはこの課題と真剣に向き合った。

 

今は宅急便なども病棟まで配達してもらえる大変ありがたい世の中なので(コロナ禍の現在ではどうなっているかわからないが)、いろいろと試すことができた。その結果、これならどんなにしんどい時でも口にできるというものがいくつか見つかった。

 

食の好みは個別的であるのを大前提にしつつ、自分がどうやって選んだか、自分にとって良かったのは何か、今後、記録に残しておこうと思う。

 

これまでも多くの患者さんがこのようなプロセスを踏み、食事の問題を乗り越えてこられたことだろう。

 

【徒然】痛覚よ、姿を

半年ぶりの骨髄検査。

白血病患者には定番の検査だ。穿刺と生検があり、今回は穿刺。

結果はまだだが、感触としては大きな異常はなさそうでほっとしている。

 

痛いんでしょとよく聞かれる。

痛い。

まず麻酔注射が痛い。

痛み止めなのになぜ痛いんだろうと思うが、痛い。

 

入院中、医師に言ったことがある。

麻酔痛いんですよねえ。

皮膚の痛覚がどこにあるんか可視化できたら

どんなにええかとボクらも思うわ、

そしたらお互いにとって楽やのにね。

そんな答えが返ってきた。

 

科学は進歩しているけど、痛覚がどこにあるかはまだわかっていない。

血液検査も、麻酔注射も、

穿刺も生検も髄注も点滴ルートの刺入もカテーテル挿入も、

痛覚を避けてすることができれば、どれだけ楽になるだろう。

気持ちも体も。ダメージはどんなに小さくても蓄積する。

 

10分後には、30分後には、1時間後には終わっていると思いながら、

その瞬間の痛みに集中しないようにやり過ごす。

図らずもこのような時間の過ごし方を身につけてしまったのは、

きっとわたしだけではないだろう。

 

痛覚よ、姿を見せてくれ。

穿刺の跡は疼く。