【本】美しい距離(山崎ナオコーラ)
「でも、痛くないのか?痛くないのか?って 、...何度も聞かれて、どうしてそんなにしつこく尋ねるんだろう、と不思議に感じた。他人の痛み、ってそんなに興味深いことなんだろうか」
「痛くないことはない。でも、痛いから不幸だ、という風には思っていないし、他の人から、痛いでしょう、苦しいでしょう、と何度も言われると、反駁したくなる」
40代で末期がんと診断された、主人公の妻の言葉だ。
強く共感する。
痛みは分かち合えない。
でも、それを真に諒解できるのは患者になったときだろう。
なってみないとわからないということを理解してもらうことは、
なぜかしばしば簡単ではない。
確かに、専門家ではないこちらとしては、易しい言葉で話してもらえるのは助かる。医者の言っていることをできるだけ理解して、対話をしたいと望んでいるからだ。そう、最終的にこちらが望んでいるのは対話であって、医者の考えていることの一方的な理解ではない。そもそも患者やその家族は、医者側が用意している物語に合わせて過ごして行きたいと思ってはいない。患者側には患者側の物語がある。
自分にも身に覚えがある。
入院中のある時、こんな言葉をノートに書き殴った。
「わたしのからだの言葉を
うばわないで」
この小説は、あるがん患者が、
病院にいながらにして病人としてではなく、
社会人として命をまっとうしていく
その最期を描いたものだ。
社会人とはなんなのか。
患者は弱者なのか。
社会人は健康のサンプルではないし、
患者は痛みのサンプルではない。
患者としての治療は他から受けても、
患者としての物語を語る資格は他の誰にもない。
わたしのからだの言葉は、他の誰にも奪わせない。
そんな決意を、この小説はわたしに新たにさせた。