患者の生活実験室

白血病患者(寛解中)が能動的な患者として楽しく暮らしていくために試した諸々と、医療や身体に関する本の読書記録

【本】どこからが病気なの?(市原真)

どういう状態になったら病院に行く判断をしたらいいのか?どの時点から医療に身を委ねるべきなのか?そのボーダーを判断する材料をくれる本。医療はチーム戦、孤独が治療の最大の敵という著者の言葉はまさにという感じだ。

かぜと肺炎の違い、アトピーは体質なのか、なぜ高血圧がよくないのか、がんって結局何なのか、病は気からって本当か。このような疑問への回答について、その勘所を丁寧に書いている。

「がんは『人体という都市に現れた反社会勢力』」「がんの正体は人体プログラムのバグ」など、比喩もわかりやすい。

「この先どうなるかという未来予測的な観点で人体を推し量るのが大事」や「知性は恐怖を飼い馴らす手綱」という言葉には100%同意する。

ざっくり書かれていると感じる部分もあるが、「『知る事で、病んでもなお平気になる』ことを目指していただければ幸い」という著者の希望への、第一歩を示す指南書であるように思う。

【徒然】胆石アラーム

白血病寛解したわたしは、
胆石持ちとなった。

合併症やステロイドの長期服用により、
年単位で代謝が悪かったせいである。
コレステロール中性脂肪の値がずっと高かったのだ。

暴飲暴食というわけでなくても
胆石というのは、
予防薬を飲んでいたとしても、
まあ、なるときはなる。
仕方がない。

発覚当初は痛みも何もなかったのだが、
だんだんと症状が出るようになってきた。
ちょっと多く食べたとき、肉や卵を食べたときなど、
胃から背中側にかけて、如実に痛みを感じるようになったのだ。

それは多くは夜に起こり、
横になっていられなくて体を起こした状態でうとうとしたり、
脂汗をかいたり、
何度もトイレに吐きに行ったり、
薬を飲んでもあまり楽にならずに
結局自然におさまるまで待って朝を迎えたり、
そのまま疲れ果てて、翌日も何もできずに一日を終えたり、
まあまあしんどいことが続いた。

胆石がこんなに厄介とは。

根治には手術しかないが、
免疫抑制剤の服用が終了してまだ間もないこと、
コロナ禍で緊急性の低い手術は今ちょっと難しいことなど
いろいろあり、しばらくはお預けである。

今できることといえば、
痛くなったとき用の解熱鎮痛薬を常備しておくこと、
そして食事に対して自覚的になることだ。

食べても痛みの起こらない量や食材を想定し、
それを3食+間食に振り分ける。
試行錯誤を経て、
その調整を感覚的にできるようになってきたところだ。

毎日、夜になって痛みがないととても安心する。
それは、受け入れるほかない状況においても
できることがあった安心感かもしれない。

もしかしたら、この調整を経て、胃や内臓が
本来のキャパシティに戻ってきているのかもしれないとも思う。

体の調子に合わせて食事の内容をやりくりするというのは
ゴリラもやっていることで、動物として本能的な行動なのだろう。
大きな肉の塊をがっつり食べられなくなったことは、
少々残念ではあるが。

白血病にしろ胆石にしろ、
わたしの体には、
その時々で
アラーム機能が自然発生するようだ。

【本】死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者(小堀鷗一郎)

 外科医として40年間勤務したのち、2005年から在宅医療に関わるようになった小堀鷗一郎医師の処女作。

サブタイトルの355人は、著者が訪問医として看取ってきた人々だ。在宅医療の過渡期に患者としてその最期を過ごしてきた人々。彼らひとりひとりへの回想が、著者にこの「無名のままこの世を去った人々への挽歌」を書かせた。「望ましい死」とは何かという大命題とともに。

それに向かうための患者の最後の拠り所、それを著者はculminationと呼び、それを共に求める努力をしてきた。若き日に宝塚歌劇団のファンだった患者のために昔のブロマイドを探したり、患者たちの俳句サークルを作ったり。

しかし残念ながら、社会全体としてはこれに追随する方向ではない。それを著者は、さまざまなデータや引用を使いながら示している。

「日本の在宅医療と在宅看取りは、私に目指す医療とは異なる方向に進んでいるのではないか。それは、オーダーメイド医療の対極にある、オートメーション医療である」

「死は敗北」とする医療側・介護側の思い込みや病院死の一般化により、「自宅で病人を看取る記憶が失われている」と著者は言う。人が亡くなるということが身近でなくなり、それゆえに自分や家族が近く死ぬということが受け入れられないというケースも少なくない。それによって、また病院や介護側の介入によって、命の最期を、患者自身が望み通りに遂げられなくなってしまうのだ。


「生かす医療」一辺倒になり、「死なせる医療」が進んでこなかった日本で「だれにもとどめることができない流れに流されてゆく患者」。そして、「その一人一人に心を寄せつつ最後の日々をともにすごす医師」。

 

患者とそのような関係の医師であること、それが小堀医師の「見果てぬ夢」だ。

 

死を生きた人びと――訪問診療医と355人の患者

死を生きた人びと――訪問診療医と355人の患者

 

 

【徒然】運命は変えられるか

池江璃花子選手が、東京オリンピックの日本代表選手に内定した。素晴らしいことだ。心から応援したい。

内定決定時に彼女が涙とともに述べた「努力は報われると思った」が、本心からの言葉なのは疑いようもない。自国開催のオリンピックのエースと目されるなかで突然白血病と診断され、どん底を経験。厳しい治療を経て選手生活に復帰。トレーニングの末、コロナ禍で延期となっていたオリンピックの代表選手の座を掴む。このすべてへの感慨を「努力が報われた」という言葉に凝縮させたのは、ひとえに彼女がアスリートだからだろう。

そう、彼女がアスリートだからだ。出演しているSK-IIの#CHANGEDESTINYキャンペーン短編フィルムで、彼女はこう語る。

「何か一つのちょっとだけ違う行動だったり考えで、運命とか未来って簡単に変わると思っている。だから、いまこの瞬間をどう生きるか、どう大切にするかが、自分の人生において、誰の人生においても大切」

運命は、未来は、変えられると。


あえて言う。これは幸運なアスリートの言葉だ。1年で国内トップレベルまで戻してこられる天性の能力と努力できる才能、目標、心身ともに周囲のサポートがあり、またそれを邪魔するほどの後遺症や再発に見舞われなかったということ。しかもオリンピックが延期になったことで、結果的に間に合ってしまったということ。こんなにも条件が揃っている状況を、幸運と呼んではいけないだろうか。幸運なアスリートは、命運あわやと思われた状況から、努力を重ねて復活した。その彼女が語る言葉。

わたしも抗がん剤と骨髄移植を経験した身だ。なんなら二度。

だからあえて言う。運命も、未来も、自分では変えられない。それは確率のなかにある。どのような運命か、未来かは「さいころをふりつづけるしかない」。明日再発しない保証はないし、いきなり後遺症がひどくなる可能性はいつまでも消せないし、そもそも白血病に完治の概念はない。

運命の形も、それに向かう姿勢も、人の数だけある。誰も、誰かの代弁者になどなれない。

アスリートでも何者でもない、ただの白血病患者のわたしに言えるのは、「明日再発しようとも、今日を生きる」ということだけだ。

【徒然】病衣の機能性について

長期入院患者にとって、着るものは重要だ。横になっている時間が長い上に、点滴などにつながれていることが多いので、快適なかつ機能的な寝間着が必須なのだ。

その意味で、多くの病院が有料貸与している「病衣」は、大変機能的であると思う。

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1)金属やボタンがついていないので、脱がなくともそのままレントゲンが撮れる。
2)手首足首が出る丈なので、心電図用の電極もすぐに装着できる。
3)袖の幅も裾の幅もゆったりしているので、点滴や採血、むくみの確認などでもすぐにまくり上げることができる。
4)着物のような袷の形になっているので、胸の診察や、管がついている状態での着替えも楽にできる。

このように、患者が着る服として実に完成されている。洗濯する必要がないのも楽でよい。

しかし、完全に機能的であることというのは、心身の「身」のほうは満たすが「心」のほうはまた別問題である気がする。

【徒然】日時計しかない現代のへや

わたしはきちんと日記や記録をつけていけるような人間ではない。とはいえ、長期入院者の常だと思うが、いろいろと思うことは出てくる。特に無菌室は一人でいる時間がとても長いので、考えずともさまざまなよしなしごとが勝手に頭に浮かんでくるのだ。

 

それに囚われてしまうとなかなか開放されない。気分転換の方法が少ないからというのもあっただろう。わたしは特に消灯後から寝入るまでの間にそのようなことが多くてさっぱり寝付けず、薬の副作用でそもそも眠りが浅かったということもあって、ほぼそのまま朝を迎えるようなこともしばしばだった。

 

ではノートか何かに書き散らせばすっきりするのではないかと部屋の電気を点けて書こうとすると、なんだかだめなのだった。その短時間であってもすでに思いから鮮度が失われているからか、あるいは無意識にきちんと書こうとしてしまうからか、書けない。しかし、消灯するとまた思いが襲ってくる。

 

そこで枕元にノートを開いて鉛筆とともに置き、何か浮かんだらすぐそれをつかんで、起き上がらずに、暗いなかで書き殴るようにしたら、これが合っていたようだった。書いたものはその時には見ず、翌日以降に。そうすると心から何かが取り除かれてスペースができた感覚になり、寝られるようになったのだった。必要なのは、文字通り心の余裕だったようだ。

 

今このノートを読み返すと、なかなか趣深い。命がかかっている時の言葉というのは、無意識に含蓄を持つものなのだろうか。たとえばこのようなものだ。

 

「情報が多すぎる 入り口を整理しなければ」

「どうでもいいことと どうでもよくないことの さかい」

 

どうしてこのような思いが去来したのかはもう思い出せない。しかし、このときの自分にしか吐けなかった言葉たちだ。

 

日時計しかない 現代のへや」

 

ひねもす無菌室で過ごしたあの日々。

【徒然】フローサイトメトリーからわかったこと

フローサイトメトリーなる解析方法があることを知った。主治医が教えてくれたのだ。

 

発病から2年半が経ち、白血病とその治療に関すること、その過程で自分に起こること、なされることはだいたい理解してきたつもりだ。しかし、わたしの知っていることなど、当然ながら氷山の一角にも満たない。

 

検査されたものの、結果を知らされていない情報もたくさんある。それは、あまりに専門的で患者が詳細を知る必要がなかったり(と医師側が判断するものだったり)、経過をみるためのもので、都度患者に知らせる必要がなかったり(と医師側が判断するものだったり)と、多くはそのような類だろう。

 

わたしにとって幸いだったのは、そのような情報であっても、時が来たらきちんと説明してくれる主治医たちに恵まれたことである。このフローサイトメトリーというのも、主治医曰く発病当初にも行っている解析だが、複雑なので当時の医師たちは説明しなかったのだろうのことだった。

 

確かに複雑で、診断直後の思考停止状態の時に説明されてもなにひとつ頭に入ってこなかったことだろう。何事にもタイミングというものがあるのだ。医師が今なら話せると判断し、また実際少しは理解できるというのは、それだけで事態が改善していることのひとつの目安であるようで安心する。

 

さて、白血病を含む血液疾患の診断には、大きく2種類ある。

・顕微鏡での細胞の形状や状態観察

・細胞内の遺伝子や染色体の解析

これらの結果を組み合わせて、最終診断がなされる。

 

わたしが正しく理解できていれば、フローサイトメトリー(flow cytometry)とは、この両方の合わせ技のような分析方法だ。細胞を一列に並べて流し、その表面に光や蛍光色素を当てることで、細胞ひとつひとつを特性ごとに分類し、計測していく。ベルトコンベアで行う、野菜の検品のようなイメージかと思う。それぞれのサイズや等級の白菜がいくつあるのか、流れ作業で自動的に分類し、最後に数を数える。そのようなものだろう。いずれにしろすごい技術だ。

 

血液疾患の場合、例えばT細胞とB細胞のどちらが多くがん化しているかで診断や治療方法が変わってくるが、顕微鏡での観察だけでは細胞数が限られるため、その多寡をそこだけで判断することはできない。そこで利用するのが、それぞれの細胞の表面に乗っている、特有の抗体だ。これを頼りにフローサイトメトリーで分類していけば、より多くの細胞を迅速に調べられる。より的確な診断と治療ができるという仕組みだ。

 

ほんとうにこの治療の裏には、いったいどれだけの知力と人力の蓄積があるのかと感嘆する。

 

今回、主治医がこのフローサイトメトリーについて説明してくれたのは、直近の骨髄検査の一環で、外部機関に出していたこの分析の結果が返ってきたからだった。発病当初のものと比較して、いずれの細胞の数も正常化していることを示すために教えてくれたのだ。

 

よかった。

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