患者の生活実験室

白血病患者(寛解中)が能動的な患者として楽しく暮らしていくために試した諸々と、医療や身体に関する本の読書記録

【徒然】日時計しかない現代のへや

わたしはきちんと日記や記録をつけていけるような人間ではない。とはいえ、長期入院者の常だと思うが、いろいろと思うことは出てくる。特に無菌室は一人でいる時間がとても長いので、考えずともさまざまなよしなしごとが勝手に頭に浮かんでくるのだ。

 

それに囚われてしまうとなかなか開放されない。気分転換の方法が少ないからというのもあっただろう。わたしは特に消灯後から寝入るまでの間にそのようなことが多くてさっぱり寝付けず、薬の副作用でそもそも眠りが浅かったということもあって、ほぼそのまま朝を迎えるようなこともしばしばだった。

 

ではノートか何かに書き散らせばすっきりするのではないかと部屋の電気を点けて書こうとすると、なんだかだめなのだった。その短時間であってもすでに思いから鮮度が失われているからか、あるいは無意識にきちんと書こうとしてしまうからか、書けない。しかし、消灯するとまた思いが襲ってくる。

 

そこで枕元にノートを開いて鉛筆とともに置き、何か浮かんだらすぐそれをつかんで、起き上がらずに、暗いなかで書き殴るようにしたら、これが合っていたようだった。書いたものはその時には見ず、翌日以降に。そうすると心から何かが取り除かれてスペースができた感覚になり、寝られるようになったのだった。必要なのは、文字通り心の余裕だったようだ。

 

今このノートを読み返すと、なかなか趣深い。命がかかっている時の言葉というのは、無意識に含蓄を持つものなのだろうか。たとえばこのようなものだ。

 

「情報が多すぎる 入り口を整理しなければ」

「どうでもいいことと どうでもよくないことの さかい」

 

どうしてこのような思いが去来したのかはもう思い出せない。しかし、このときの自分にしか吐けなかった言葉たちだ。

 

日時計しかない 現代のへや」

 

ひねもす無菌室で過ごしたあの日々。