患者の生活実験室

白血病患者(寛解中)が能動的な患者として楽しく暮らしていくために試した諸々と、医療や身体に関する本の読書記録

【本】無菌室ふたりぽっち(今田俊)

闘病ブログを書かれたり、闘病記を出版されたりする患者さんのことはとても尊敬している。病床での日々を記録していくとは、しんどかった時の記憶をたどって言葉にするということだ。しかも、自分以外の人にもわかりやすいように書く。体力以上に気力。わたしも長期入院の時にはマンスリーのカレンダーに一言日記のようなことをしていたが、それ以上のことはとてもできなかった。

 

この『無菌室ふたりぽっち』の著者も、当初そう考えていた。記憶を辿ることそのものにも苦痛がある。また、有名人というわけではない、普通の新聞記者が書くことにどれだけ意味があるのか。

 

その考えを覆しこの本を書く決心を彼にさせたのは、奇しくも同時期に、型は違えど同じ白血病を発症した、ただし彼より若い、同じ会社のカメラマンだった。エンドーくんだ。

 

著者はブログ越しにエンドーくんの闘病を見守っていたが、彼は発病から1年経たずに亡くなってしまった。一方、著者は再発に苦しめられながらも実の弟から骨髄移植を受け、生きながらえる。なぜ、今自分が残っているのか ー わたし自身のことも含めてありていにいえば、ただの確率だ。しかしそこに、なぜか勝手に何らかの意味を求めてしまう。不思議だが、人間の本能的社会性というものなのだろうか。

 

このお二人が闘病されていた2006-2008年頃から15年近く経ち、新しい抗がん剤が出ていたり、無菌室のあり方が見直されたりといった細々とした部分では変化もあったと思う。彼らは骨髄性白血病、わたしはリンパ性なので治療の具体的な部分は異なるが、大枠のところは、わたし自身が2018年から2年間受けた治療とほぼ同じだ。

 

衝撃の診断、怒涛の検査と入院、治療開始。寛解導入療法、地固め療法、そして骨髄移植。制吐剤、キロサイド、カテーテル、黄色の輸血、GVHD。既視感のある単語ばかりだ。図らずも、これが白血病患者の時を超えた共通言語なのだ。

 

治療を始めた最初の頃、病棟で同室の方から「がん友」という言葉を聞いた。「がん友と励まし合ってる」「退院したらがん友とお茶しようねって言ってる」などと言われていて、「ほほぅ」と思ったものだった。確かに患者同士しかわからないことがあり、さらに同じ病気でなければ通じあえない言葉や空気がある。

 

しかしこの本は、自分のこと以上にエンドーくんのこと、そして自分に骨髄を提供してくれた実弟のことを伝えるために、その通じあえなさを乗り越えようと著者が努力された軌跡のようにわたしには感じられた。それはきっと、結果的にであっても、自分の闘病を孤独にしなかった彼らへの感謝と敬意だったのではないか。

 

【新版】無菌室ふたりぽっち

【新版】無菌室ふたりぽっち

  • 作者:今田 俊
  • 発売日: 2019/04/05
  • メディア: 単行本