患者の生活実験室

白血病患者(寛解中)が能動的な患者として楽しく暮らしていくために試した諸々と、医療や身体に関する本の読書記録

【徒然】薬局で待つということ

薬局に行くとたいてい、なんでこんなに時間がかかるんやとか、

待たせすぎやろ、速くする努力もせんのかとか、

そういう言葉を薬剤師さんに投げつけたり、ぶつぶつ言っている人がいる。

たいてい高齢者だ。

 

今日もそのような人が隣にいた。

あまりに腹が立って、思わず横から言い返してしまった。

 

「時間がかかっても、きちんと確認してもらった方がいいじゃないですか」

「そんなんジェルを袋に入れるだけやのに、そんなかかることない」

「わたしは薬を半分にしてもらったりしないといけないから確認してほしいし、大体これだけ混んでるんやからすぐに出てくることなんてないでしょう」

「ちょっとでも速くやろうとしてないことが問題なんや」

「そんなわけないでしょう。わたしの祖母は薬剤師です。わたしは知ってるんです」

 

ここでわたしの順番が来たので話は終わった。この薬局は、国内有数の大学病院の正面にあるにしては狭い店で、薬剤師さんとの薬の確認や会計は店内の全員に聞こえる。わたしの薬の多さにこの娘は本気っぽいと思われたのか、その後わたしが退店するまで店内は静かであった。

 

本退院から1年以上経つ今でも、わたしは1日当たり20錠以上の薬が必要だ。これでも減ったほうではある。それを現在は1ヶ月分まとめて処方され、ものによっては半分に割ったり、再梱包してもらったりする。全体の待ち時間を圧迫しているのはわたしのような客だろう。だからといって、確認を飛ばしたりされるのは困る。なんとなれば、わたしのような生きるために薬を飲んでいる患者には、文字通り命綱だからだ。

 

自分の薬が1種類だったり、今までと同じものをもらうだけということであっても、他の客はそうではないことに思いを馳せてはいただけないものか。たかが薬と思っているのではないか。なんのために、薬剤師は国家資格なのか。

 

薬が工業製品のようになってから、人々の薬に対する意識は薄れてきているのかもしれない。少なくとも、チベットで満月の夜に作られる薬のように、「汗」や「苦労」が目に見えるものではなくなっているのではないか。薬自体に備わる身体性のようなものが失われ、ただ買って飲みさえすればよいというようなものに、ありていに言えば雑貨化しているのではないか。

 

薬局側から情報提供していかなければならないこともあるだろう。しかし、問題はもっと根深いような気がしてならない。

ikuseikai.org