【本】うつ病九段(先崎学)
将棋漫画『3月のライオン』を監修したプロ棋士・先崎学九段が、突然うつになった。精神科医の兄に導かれ治療を開始、1年間の休場を余儀なくされる。その闘病生活の終盤に、リハビリを兼ねて執筆された体験記だ。
棋士が将棋を指せなくなるとはどういうことなのか。運の要素がないこのゲームは、上手と下手の区別や、上達していく道筋がはっきりしている。47歳、九段というベテラントップ棋士の先崎にとって、自分がうつ病になったことを自覚するのも、そこから脱出するのも、将棋がきっかけであった。
簡単な詰将棋がすらすら解けたこと。「ほのかな達成感を覚えて帰路についた。どんなにわずかでも達成感というのを味わったことに心が震えた。うつの最中はまったく喜びというものがない」
そこから工夫を重ね、少しずつ上級の詰将棋を攻略していくうちに、きちんとした将棋を指したくなってくる。勝てた時の、眠れないほどの興奮。「なにより私は自分が将棋指しであるということをすこし思い出したのだった」
しかし、棋士として現場に戻るには程遠い。復帰の時期が近付く。どこまで治るのか、「運を天に任せるよりない」。しかし彼は、自分が指す将棋の内容から、少しずつよくなっている実感を持つのである。
とはいえ、棋士は勝てなければ意味がない。自分の人生を支えてきた「将棋が強いという自信」を奪われることへの、涙が出るほどの拒否感。彼は「弱くならずに」復帰することを、「最善を尽くして棋士の本道を生きるのだ。向上心を持つという本道に」と誓う。
ここからの、なりふりかまわない上達の工夫は圧倒される。対戦相手を師として、自分の棋力を常に推し量る。トップ棋士だからこそできたことだろう。棋士の定点観測地は、常に将棋盤なのだ。
「将棋は、弱者、マイノリティーのためにあるゲームだと信じて生きてきた。国籍、性別、肉体的なことから一切公平なゲーム、それが将棋だ。私はその将棋のプロであることに誇りを持って生きてきた」という先崎。だからうつも、それへの世間の偏見も「将棋の力によって切り抜けられるはずだ」
締めくくりの文はこうだ。
「今、書いてみて分かった。こんなことを書いているぐらいだから、うつはたしかによくなっている」
私が先崎学を知ったのは、たまたま読んだ雑誌『number』の棋士特集号だった。羽生善治と藤井聡太のとある対戦について書いた「22時の少年」というエッセイが素晴らしかったのだ。何か著書を読んでみようと思ってこの本に行きあたり、彼がうつ病経験者であることを知ったのである。
うつはたしかによくなっているのだと思う。